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【特集記事】マルチ商法家族被害について マルチ⼆世の⾃分史の観点から

本記事は、消費者法ニュース136号(2023年7月発行)「マルチ商法家族被害について マルチ⼆世の⾃分史の観点から」の内容を、掲載者本人の承諾を得て公開するものです。



1.序

 2022年10⽉、最⼤⼿マルチ企業A社は会員による勧誘⾏為において違反⾏為が発覚したため、6ヶ⽉の取引停⽌命令を下された。最⼤⼿のマルチ企業に⾏政処分が下ったことはメディアでも報じられ、また4⽉に勧誘が再開されたときも⼀部メディアでは取り上げられた。2022年12⽉に出版された『ルポ脱法マルチ』をはじめ、その勧誘⽅法や異常な活動の実態が問題視されるようになってきた。違法性のある勧誘⽅法に加えて、⼤学⽣や社会⼈が借⾦や仕事、⼤学をやめてまでお⾦と労働⼒を捧げるカルト的な実態、その背景に⽰唆されているマインド・コントロールなど、“消費者としての”被害、すなわちマルチ会員本⼈の被害が訴えられてきた。


 しかし、マルチ会員の消費者被害は本⼈だけで完結しない。会員には配偶者や⼦どもがいる⼈もいれば、殆どの⼈には親がいる。会員が破滅への⼀途を辿るとき、それに巻き込まれずに済む親族は滅多にいない。この側⾯に光を当てたのが「宗教2世」問題だ。商業カルトとも⾔われるマルチ商法の親族被害という側⾯は『みんなの宗教2世問題』(横道,2023)でも取り上げられている。


 宗教2世と同じく、これまでマルチ会員の親族を巡る実態については家庭内の問題として今まで明るみに出ることがなかった。マルチ商法というコミュニティによって会員はその⼈⽣を狂わされる⼀⽅で、親族は団結するコミュニティを持つことができず、社会に潜み続けてきた。親族はマルチ商法とその会員に対する社会からの嘲りの視線を敏感に感じ取り、マルチ商法のことを隠し、家庭内で解決しようと孤独に闘い続けてきた。


 私はマルチ商法にハマった親のもとで育ったマルチ商法2世の⼤学⽣である。本稿では⾃分史を記述することによって、マルチ商法2世の⽣活困難の実情と被害者意識を⾃覚する過程について記す。そして、マルチ会員の親族被害の視点からマルチ商法の問題点を論じていく。



2.⺟とマルチ商法

 ⺟は⼦ども時代にお⾦に困窮していたことに加え、親とそりが合わず18歳頃に家を出る。⺟は昔から⾊々なものにハマりやすい⼈で、貧困に対するコンプレックスのようなものがあった。不労所得に憧れていた⺟は私が産まれる前からマルチ商法にハマっていた。


 私が14歳のとき、⺟は当時数年付き合っていた男性と破局して、居候だった私たちは家を出る。次第にお⾦に困窮し、⺟は新しい働き⼝を探し始めた。そのとき、最⼤⼿マルチ企業A社の会員として本格的に活動に傾倒する。⺟は最⼤⼿マルチ企業A社会員になって活動に8年程度打ち込み、現在A社の他に2社の会員としても活動している。加えて他6社の商品を購⼊してきた。昨年からは健康に良いと⾔ってアロマオイルを体に塗ったり、⽔に1,2滴垂らして⼝から摂取するようになった。


 元々孤⽴気味で勧誘するあてがあまりないこともあり、勧誘⾃体は上⼿くいなかったが、週1回以上セミナーやミーティングに参加していた。A社のミーティングに頻繁に参加するようになり、A社に所属するカリスマ的会員の本を家に積み、YouTube上のスピーチ動画を毎晩流して、⾼額な商品や調理器具、⽣活⽤品を購⼊するようになる。


 この頃から、A社の調理器具が実家に増え始め、元々あった調理器具とすり替わっていった。そしてA社で買ったIHコンロで、そのコンロを使った専⽤のレシピ本を読みながら⾊々な料理に挑戦していた。その本はA社経由の料理教室で買ったものだった。こうして⺟はマルチ会員として精⼒的に活動することになるが、私の知る限り⾦回りが良くなったことはなかった。時間とお⾦だけが消え続けていった。



3.私とマルチ商法

 上記では⺟がマルチ商法にハマっている様⼦を記述した。このようなマルチ商法のカルト的な側⾯はこれまでも問題とされており、先述した『ルポ脱法マルチ』ではまさにその異様さを著者の実体験をとおして語っている。つまり、マルチ商法の問題点は基本的に会員の変容ぶり、消費者としての被害、マルチ会員同⼠のカルト的なコミュニティの様⼦といった「マルチ会員」がどのような被害を被っているかに焦点を当てて論じられ、報じられてきた。


 しかし、マルチ会員は被害者であると同時に、親族との相互⾏為においては加害者となりうる。この視点に⽴ったとき、マルチ商法問題にはもう⼀⼈の被害者が現れる。それが「マルチ会員親族」である。以下では、⺟がマルチ会員であるために⽣じた私の⽣活困難について述べていく。


3.1.⼼理的コントロール

 ⺟は当初から学業の成績が良かった私に「あんたは賢いんやからマルチをやるべきや。マルチ商法をするのに年齢は関係ない︕お⾦の仕組みを勉強せなあかん︕」と⾔ってきた。A社に関する活動で紹介されたらしい『⾦持ち⽗さん、貧乏⽗さん』という本を読むように⾔われたこともある。本を読むことを拒否すれば「あんたは家族のためになんもしてくれへんのか」「あんたのためにやってるのに」と怒られた。⺟は私がマルチ商法に協⼒することを⼀⽅的に期待して、気持ちに応えてくれないと知れば、私の裏切りを責めた。⺟は⾔葉以上に私を縛らなかったが、マルチ商法に協⼒してもらおうと常に働きかけてきた。


 ⺟との会話は何でもA社の話題にすり替わる。私が「しんどい」と⾔えばA社のサプリメントを飲めと⾔い、花粉症の話をすると空気清浄機の話をされる。マルチ商法がないと⺟との会話が成⽴しない。「家族のため」を⼝にしておきながら、家族の声は全く聞いていない。それが分かると話す気が起こらなくなり、話しても無駄だと思うようになった。私は⺟に精神的に頼ることを諦めた。


 ⺟は家族を捨ててマルチ商法を選んだのではなく、家族のためにマルチ商法に打ち込んだ。マルチ商法は家族の幸せを達成する必要条件だった。しかし、その「家族」とは⺟とマルチ商法を無条件に承認してくれる都合の良い⼦どもたちのことだったとしか思えず、私が事実そうなるように常に⼲渉してきた。


3.2.隠し続ける⽣活

 ⺟がマルチ商法に傾倒するほど、私は⺟の振るまいからマルチ商法に関わっていると周囲に悟られないように気を配り続けた。友達の親を勧誘されたり、スピリチュアルな⾔動をされると困るため、学校で懇談会や参観⽇のお知らせが来てももみ消してきた。⽂化祭などの⾏事はごまかせないため伝えていたが、なるべく友達とその親に関わって欲しくないと思っていた。マルチ商法という⼀家の恥を隠したくて、社会から軽蔑されないように⽣活を偽ってきた。


 ⼀⽅で、親との関係が険悪であることも普通の家庭らしくないため隠したかった。そこで私は⺟との記憶の中で⾯⽩い笑い話だけを選択して話してきた。それによって⺟は「おかしい⼈」ではなく「⾯⽩い⼈」だと、そして⺟のことを楽しそうに話すこと私も「かわいそうな家庭の⼦」から「親と仲が良い普通の家庭の⼦」に映ることを狙った。私は他⼈に家族のことを話すとき、⾃分がマルチ商法と疎遠な⼈物であるように⾒せることを常に⼼がけてきた。


 ⾃分の家族がおかしいことを隠し続けてきたが、⼀度だけ感づかれそうになったことがある。私の家庭では⾁を⽔につけて洗う習慣があった。おそらくA社関連のセミナーで得た知識で、家庭内では⾁だろうが野菜だろうが浄⽔による洗浄をとおすことがルールだった。⽔につける理由は「⾚い着⾊料が落ちるから」らしい。


 ある⽇、⼤学でできた友達数⼈で⼀度泊まりに⾏ったことがあった。そのときに私はうっかり―そのときはうっかりとも思っていなかったが-⾁を洗ってしまった。友達の困惑している様⼦は今でも覚えている。私は即座におどけた。⼼中穏やかではなかったが、それだけは悟られないように、皆が笑えるように努めた。その⽇も⺟を絡めた我が家の笑い話を披露し、⾁を洗う習慣も「⾯⽩い⼈」のやることだと思ってもらうようにした。実際上⼿くいったと思う。ただ、同⽇に友達の⼀⼈が「(私)のお⺟さんってマルチとかハマっていない︖⼤丈夫︖」と尋ねてきた。


 「ああ、この⼦たちは“まともだからこそ”、それとは違う⾃分の家庭のことは絶対に話せないな」。彼⼥が⺟を⾺⿅にしたのではなく、純粋に⼼配してくれたことは分かっていた。それでも私は、マルチ商法が道徳的悪だと考えている⼀般的な⼈間に⾃分やその⾝内がマルチ側であることは決して⾔えなかった。情けをかけられることを敬遠したのではなかった。私は⾃⾝が社会規範の外側にいる⼈間であると露呈することを何よりも恐れていた。


 私はマルチ商法を道徳的悪だと思っている。私は普通の⼈と同じ思考と感性を持っていて、それゆえに普通の⼈たちと交流を続けているのに、実際の⾝分はマルチ会員側という⾃⼰⽭盾を抱えている。今の⾃分は本来の⾝分でないと何度も苦悩した。マルチにハマっている⺟はたとえ世間から憚られようともこのような⽭盾の抱えずに済んでいるのかと思うと、いっそのことマルチ会員でいる⽅が楽なのではないかと思うこともあった。


3.3.経済的困窮

 ⺟との喧嘩に疲れていたことと、私⾃⾝がマルチ商法で迷惑がかかっているわけではないと思っていたため、⺟のことはもう放っておこうとした。マルチにハマるのも⺟が稼いだお⾦の範疇で済む分には⾃由だと思うようにしていた。


 ところで、私と弟は⽉15万円ほどの奨学⾦を借りており、⼊学してから約2年半にわたって⽣活費と目して⺟が全額管理してきた。⺟の本業と併せると⽉30万円ほどの世帯収⼊だったが、⽣活は苦しかった。貯⾦はなく、家賃や公共費の滞納を繰り返し、様々な給付⾦を借りて毎⽉をしのぐような状況だった。


 「私と弟に⽣活費がかかるから奨学⾦が必要なんだ」と思って、⺟がお⾦を全て管理することに納得していたが、後になってそのお⾦とほぼ同額の⾦額をスピリチュアルに関連したスクールのローン返済やA社製品購⼊に使っていることが分かった。⺟の⼿に負える範囲でマルチ商法にお⾦をつぎ込んでいると思っていたが、どうやらそれでは済んでいないらしいことが家を出てから明らかになった。なお、私の学費は⾃分のバイト代で払い、弟の学費は祖⺟から借りていた。⺟は⽣活が困窮しているという事実だけを私たちに伝え、お⾦を徴収していたが、その実態については⼀切明かしていなかった。



4.マルチ2世としての⾃覚

 2022年7⽉8⽇、安倍⾸相銃撃事件が起きた。それに伴い、世間では「宗教2世」「カルト2世」というワードが頻繁に取り上げられるようになる。加えて、私は『星の⼦』という「宗教2世」を描いた映画を観た。主⼈公の家族との関係性や、主⼈公の苦悩はとても他⼈事に思えず、動悸が⽌まらなかった。『妻がマルチ商法にハマって家庭崩壊した僕の話』(ズュータン,2021)という本も読んだ。この本の中に出てくるマルチ会員の記述には⺟と共通する部分が多々あった。「マルチ会員」という均質な⼈間に染められた親族被害者の「家族」がそこには何⼈も描かれている。本を読むほど、⼿が震え、吐き気がこみ上げてきた。


 多様な個性を持つ⼈々をマルチ企業にとって都合の良い⼈格に均質に塗り替えていくことがマルチ商法の戦略なのではないか。そう感じた私は、マルチ商法が家庭という「聖域」を超えた社会的な問題であると考えるようになった。


 これまで私は⾃分の⽴場をマルチ会員という「当事者における親族」という「関係者」程度だと捉えていた。私が感じている⾟さは親とそりが合わないために⽣じており、この⾟さを既存の概念に当てはめるなら「毒親」や「アダルト・チルドレン」、「機能不全家族」に合致するだろうと考えていた。しかし、メディアをとおして「宗教2世」、「マルチ会員の親族」に触れたことで⾃分が「マルチ会員の⼦ども」という「当事者」だと認識した。これは「マルチ2世」という私とマルチ商法の問題でもあったと理解できるようになった。


 そうした契機を経て、⾼校⽣の頃まではマルチ商法について全く周囲へ話したことはなかったが、彼⼥や先⽣、⾃分を助けてくれる⼤⼈に話すようになった。私が今まで演出してきたマルチ商法にハマっていない理想上の⺟はいないことを認め、喪失感を吐き出した。私は、⼈に語ることをとおして私の中に思い描いた理想の⺟と、今までマルチ会員親族であることを懸命に隠してきた⾃分⾃⾝に役割の終わりを告げた。


 定期的に会っていた⽗(私が1歳の時に⺟と離婚)とも、先⽇初めてマルチ商法について話し、実は⺟が⽣まれる前からマルチ商法にハマっていたことを知った。⾃分でも驚いたが、家族同⼠でさえマルチ商法について話したことがなかったことを痛感した。私たち家族は⺟に対して共通の経験を持っていながら、マルチ親族としての苦悩をお互いに独りで抱えていた。


 私はマルチ商法を隠すことをやめて、マルチ商法と闘うことに⾃⾝のアイデンティティを⾒出すようになった。そして今は卒業論⽂に向けてマルチ会員の親族被害について研究している。



5.結語

 以上、私の⾃分史を通してマルチ2世が抱えるマルチ商法の親族被害について記述した。本章では、社会学及び社会福祉学の視座からマルチ2世の被害、⽣きづらさをとおしてマルチ商法の問題点を分析していく。


5.1.⼼理的コントロール ー宗教的虐待ー

 ⺟の「あんたは家族のためになんもしてくれへんのか」などの発⾔は、当時⼦どもだった私の罪悪感を煽るのに⼗分なものだった。そして私はしばしば衝突しながらも、その罪悪感に耐えられず最終的には⺟の指⽰に従っていた。このことから、⺟は罪悪感を⽤いて⼦どもの私を⼼理的に操ろうとしていたという構図が浮かび上がる。また、「マルチ商法がないと⺟との会話が成⽴しない」ように、⺟との会話がマルチ商材を使った解決法の提案に収斂していくことからは、⺟がマルチ商法に没頭していることだけでなく、マルチ商法に関わろうとしない私を矯正しようとしている意図が読める。つまり、⺟は私を、コミュニケーションによってマルチ商法を受け⼊れてくれる理想の⼦どもに調教しようとしていた。


 私は前章で宗教2世がきっかけでマルチ2世を⾃覚したことを述べたが、ここで参照しておきたい概念が「宗教的虐待」(spiritual abuse)である。⼀般社団法⼈「社会調査⽀援機構チキラボ」(2022)はレポートの中で、宗教的虐待には⾝体的虐待などを正当化するなど宗教が虐待と密接に結びついているという側⾯のほかに、宗教的虐待特有の⼦どもに対する⼈権侵害の実相があると述べている。「信仰の⾃由を奪う(信仰を押しつける)」⾏為である。「特定の信念を持つように強要すること⾃体が、⼦どもの権利を奪うものである」ために宗教的“虐待”と呼ぶ。この⽰唆はマルチ2世にも適⽤できると私は考える。親が抱くマルチ商法への信仰を⼦どもに押しつけ続けられた⼦どもはストレスを蓄積していく。加えて、親⼦という非対称的な関係性において親はしばしば⼦どもの抵抗をパワーで抑圧する。その抑圧は⾝体的虐待や⼼理的虐待、ネグレクト、経済的虐待で表現される。しかし、これら虐待の根底にある宗教的虐待は児童虐待防⽌法では虐待分類に該当しない。


 このような親による⼦どもの抑圧、⽀配はこれまでも「毒親」「アダルト・チルドレン」の⽂脈でいくつも語られてきた。しかし、「マルチ2世」の語りに出てくる暴⼒には「宗教2世」と同じくコミュニティの存在が固有の要素として関わっている。マルチ企業の上位会員はトップ会員に対する憧れを煽り、トップ会員と同⼀化していくことを成功の道筋として推奨する。マルチ会員のコミュニティにはマルチ商法という「信仰」に対して没頭することが正しいという倫理観がある。信仰への没頭を勧め合い、それを称賛するコミュニティの空気を取り込んだ会員は⾃⾝の⼦どもにも信仰を勧めることが正しいことだと信じている。つまり、マルチ会員のコミュニティに根付いている没頭の倫理が⼦どもの抑圧、⽀配を助⻑している。したがって、マルチ2世の⽣きづらさには家庭内の児童虐待・不適切な養育に留まらない、マルチ会員という集団⽂化による組織的な⼈権侵害が背景にあり、マルチ商法というシステムは⼦どもに対する信仰に対する抑圧を必然的に誘発すると考えている。


5.2.隠し続ける⽣活 ー普通の⼈間の演技ー

 ⼈間にとって、⽣きるということは家族の営みだけでなく、社会での営みも含まれる。そこでマルチ2世にとって社会関係を営むとはどういうことかを考えるうえで非常に重要な概念がパッシングである。パッシング(passing)とは、社会から偏⾒を抱かれかねない情報を他者に知られないように管理・操作する⽅途のこと(河村,2022)であり、マルチ会員を⺟に持つ私が「マルチ商法に関わっていると周囲に悟られないように気を配り続けた」のはまさしくパッシングに該当する。私はパッシングによって普通の⼈の集団に所属していることをアピールし、⾃⾝のアイデンティティを制御してきた。


 マルチ2世であることを隠すだけでなく、私は⺟について「⾯⽩い笑い話だけを選択して」⾃ら「話してきた」。ただ隠すだけでなく、隠していることさえ悟られないことが普通だと認められる条件だと考えていたからだ。私はリスクを負いながらも⾃ら前に出て普通の⼈間を演じてきた。「マルチ商法と疎遠な⼈物であるように⾒せ」ていた私にとって、社会⽣活を送ることには常に緊張感を持って挑んでいた。この緊張感はストレスを蓄積させ、普通を演じることに強迫性を持たせた。


 しかしマルチ2世にとって社会関係が深まるほど-しばしば⼤学⽣以降、経済的に⾃⽴できる年齢に⽐例すると考えられるが-操作してきた印象と実際の歪みは⼤きくなる。演じることの難易度は上がり続けていつしか破綻を迎え、破綻は周囲からの孤⽴か親との精神的訣別、すなわちマルチ商法を⾃分の⼈⽣から疎外する形で表出する。マルチ2世のパッシングは最終的にマルチ商法を「隠す」ことから「疎外する」ことで臨界点を超える。


 親の庇護がないと⽣きていけない時期は⾃分⾃⾝を守るために隠すことを選択し、⾃⽴できる時期を過ぎてからはマルチ商法との関わり、記録を絶つことを選択する。パッシングにこのような時系列的な変化があると仮定すると、マルチ2世問題ひいてはマルチ会員の親族問題は潜在化しやすい傾向にあると⾔える。つまり、普通になることが目的のパッシングの観点において、⾃分がリスクを負いかねないマルチ商法の親族被害を顕在化することには合理性がない。マルチ商法は社会から軽蔑されているからこそ被害者も容易に団結することができず、社会問題として処理されにくいことため⻑期的な⼈権被害を⽣んでいる。


5.3.経済困難 ―秩序を壊すことによって成り⽴つ商法―

 「⺟が稼いだお⾦の範疇で済む分には⾃由だと」思っていた私は、実際は⺟からの経済的搾取によって経済困難に陥っていた。私の家庭に限らず、マルチ会員が借⾦や家族のお⾦を使う事例は少なくない。この事実から、マルチ会員が家族や⾃分⾃⾝に経済的搾取を⾏うことには普遍性があると考えている。⾔い換えると、マルチ商法というシステムが、会員に対して「搾取」という⼿段を取らせるほどの多額の消費を誘発しているという仮説である。


 特定商取引に関する法律に基づいた連鎖販売取引の定義と親族被害の実態から導き出されるマルチ商法の性質として「開拓者としての精神」と「連鎖」があげられる。新規の会員を「開拓」し、会員の購買⼒を「開拓」する。極端に単純化はしているが、前⽂の内容は⼀般的な商売にも共通することである。しかし、マルチ商法の特異性は被開拓者(非会員)を開拓者(会員)にする「連鎖」的なビジネスモデルにある。


 商品の売買という経済活動において「買う者」と「売る者」の間には境界が存在し、境界を維持するための規範(法律やモラル)が機能することによって両者は基本的に混じることなく非対称的な関係の秩序を保っている。非対称的な関係を利⽤することによって⽣み出される消費者被害も横⾏しているが、その形式はあくまで⼀⽅が他⽅の境界を「越えた」という秩序違反である。しかし、「買う者」を「売る者」へと開拓するマルチ商法では境界が「破壊」され、両者とも「売る者」、つまり開拓者の精神へと揃えられる。


 厳密には精神が「売る者」へと揃えられただけで、上位会員は下位会員の売り上げの⼀部が還元される以上、「売る者」と「買う者」の利害構造は維持されている。構造上の非対称性を維持したまま精神的関係においてのみ境界が撤去されたことで上位・下位会員の間に存在していた売買の秩序はなくなり、上位会員は下位会員に対する「売る者」としてのアドバイスという形式で商売をするようになる。売買における非対称性ゆえに保たれていた緊張関係が曖昧にされたことで、下位会員は⾃分が「買う者」(消費者)であることを忘れて上位会員の要求を呑み、商品を「売る者」として仕⼊れの気持ちで買うようになる。「買うために努⼒する」ことが⼀般的な資本主義的⽣産活動における労働の目的とするならば、マルチ商法における労働の目的は「買うことで努⼒する」と位置づけられ、マルチ商法は「売る者」「買う者」の秩序を認識⾯で崩壊させることで構造的な搾取を成⽴させている。


 櫻井(2006)はカルトの問題性として、「境界維持とコミュニケーションのモラルを破壊する」点を指摘している。境界は、⾃⼰のアイデンティティや⾃⽴性を確保するために、⾃⼰と他者、⾃分の家族と他⼈の家族、⾃分の会社と他⼈の会社、⾃分の国と他⼈の国、それぞれの間に維持されている。たとえ共同体の中にも、⾝分や地位・役割の差異に基づく境界は必ず存在し、境界の維持が社会秩序となる(中,1999)。⼈と⼈との間に存在し、秩序を保っている「境界」を破壊するものがカルトであるという櫻井の指摘は、マルチ商法の問題性を論じるうえで非常に⽰唆に富むものである。


5.4.スティグマ(偏⾒)からの解放

 私は普通になりたくて、ずっと⾃分の親がマルチ商法にハマっていることを隠し続けてきた。それを知られることで周りから、かわいそうな、おかしい家庭と⾒なされたくなかったからだ。レッテルを貼られたくなくて、マルチ商法に負けたくなくて、私はずっとマルチ2世としての⾝分を明かさず、誰にも頼らず、普通の幸せな⼦どもを演じて⽣きてきた。それが間違いだった。私は、⾃らの⼿で恥の烙印を押してしまっていた。誰にも頼らず、家族を、⾃分を辱めてしまった私は真の意味でマルチ商法に屈していた。


 ⾃分の⼿には負えない理由で⾃分に惨めさを感じたとき、それは⼈権が踏みにじられているときである。⼈に頼ったからといって社会による偏⾒は簡単に拭えない。それこそ私が恐れてきたことだ。しかし、誰かに明かしたときにこそ私たちは⾃分⾃⾝によるスティグマから解放される。誰かに頼ることができたとき、私たちはマルチ商法に再び⽴ち向かうことができると私は強く信じている。



参考⽂献

1. 河村裕樹(2017).「『普通であること』の呈⽰実践としてのパッシング ―ガーフィンケルのパッシング論理を再考する―」.現代社会学理論研究.11巻,42〜54.

2. ⼩鍛冶孝志(2022).『ルポ脱法マルチ』.筑摩書房.

3. 櫻井義秀(2006).「カルトからの回復 : 境界(バウンダリー)の再構築」.⽇本脱カルト協会会報,10巻,4-21.

4. 社会調査⽀援機構チキラボ(2022).「『宗教2世』当事者1,131⼈への実態調査」.

5. ズュータン(2021).『妻がマルチ商法にハマって家庭崩壊した僕の話。』.ポプラ社.

6. 中久郎(1999).『社会学原論―現代の診断原理』.世界.

7. 萩上チキ 編(2022).『宗教2世』.太⽥出版.

8. 横道誠 編(2023).『みんなの宗教2世問題』.晶⽂社.

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