Vol#14 私は、親の死をちゃんと悲しんで見送ってあげたかった
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  • 執筆者の写真Rio

Vol#14 私は、親の死をちゃんと悲しんで見送ってあげたかった

インタビュー相手

  • インタビュー相手:30代男性

  • インタビュー時期:2022.10

  • 家族構成:母(他界)、私(長男)、次男、三男、長女、 ※父は離婚

  • マルチ商法との関係:母が元ニュースキン会員(25年程度)


マルチにはまった母

購入時期は不明ですが、昔からアムウェイの鍋が家にはありました。

販売員だったのか、単に購入しただけなのかはよく分かりません。


その後、私が小学校を卒業する少し前、後にアップになるMさんの紹介でニュースキンのビジネスを始めました。


当時の母は父と離婚直後で、生命レディとスナックの仕事を掛け持ちしながら私たちを育ててくれました。

家計の足しにチラシ配りや内職をしていたので、その延長として私は捉えていました。


スナックで知り合った男性と再婚し妹が生まれますが、新しい父は家庭にあまり協力的でなく、生活は苦しかった覚えがあります。


それまでに聞いたことがなかった「食育」「活性酸素が癌の原因」「既製品に発がんリスクがある」などと口にするようになりました。 今まで見なかった多種多様なサプリメントや化粧品が生活に入りこんできたのを覚えています。 Mさんをよく引き合いに出し、自分も彼女のような生活ができるように頑張る、子供たちの未来を明るいものにする、と目を輝かせていたのが印象的でした。


Mさんはかなりの成功者のようで、実名で検索すると今でも本人のSNSやニュースキン関連の記事が出てきます。


当時の私はマルチ商法を知りませんでしたが、母の変貌ぶりに違和感を覚えていました。

元々母が表裏の激しい性格であることをそれまでの生活で体感していたので、理想論を語る彼女へ嫌悪感を抱いていました。

同時に、ニュースキン製品で家族の健康を保ちたいという想いは母親としての愛情だとも感じていたのでとても複雑な気持ちでした。



家計のひっ迫

製品購入にどれぐらいかけていたかは正直分かりませんが、家計は非常にひっ迫していました。


小学校6年生の頃から、私は学校が休みの日にチラシ配りを手伝わされるようになりました。

参考書や模試を受けるための交通費などは、チラシを配った分でもらえる小遣いで賄っていました。


高校に入り私もアルバイトを始め、教科書や部活の用具もほとんど自分で購入、大学生になってからも1人暮らし費用、定期代、教材費も全て自分で払っていました。


高校、大学では奨学金をもらっていましたが、公共料金の不払いで実家の電気やガスがしばしば止まっていました。


ニュースキンでの収支状況は把握していませんが、大人2人がフルタイムで働いて、子どもが奨学金を受給していたにも関わらず公共料金を滞納していたことから、常にマイナスだったと思います。


私が就職してからは毎月3万円、ボーナス期は10~15万円を奨学金返済のため母に送金していました。


しかし、社会人3年目の夏ごろ私は鬱病を患い会社を辞めることに。

奨学金返済が滞ってしまうと思い返済状況を確認したところ、5万円程度しか返済されていないことが判明しました。


鬱病で情緒不安定な私を気遣い、きょうだいが母を含めた家族会議を開いてくれました。

そこで送金していたお金を何に使ったのか問いましたが、およそ2時間にわたり母は黙秘を貫きました。


正直私たち家族はニュースキン製品の購入以外に使用用途に心当たりがなかったのですが、本人が一切口を開かなかったため、お金の行方は今でも不明です。


それまでも母とは一定の距離をとってはいましたが、この日を境に彼女を母親とは認識しなくなりました。


祖母からの援助や傷病手当金となけなしの貯金で一人暮らしを継続できたことが幸いし、なんとか病気は克服。

私は社会復帰した後も母からの連絡は、なるべく受け付けないようにしていました。



決定的な事件

その後他の兄弟も母から離れ、妹だけが母と生活するようになります。

妹のことが心配なので、私だけは時々連絡を取って、妹と交流を保つようにしていました。


妹が大学に進む頃には、妹の成長ぶりに安心して少しずつ連絡を取る頻度が減り、年に数回LINEで連絡する程度になりました。

妹の進学費用は祖母が援助してくれていました。


ある日、就職活動がひと段落した時期かなと久々にLINEを送ったところ、妹が大学を中退したと聞かされました。

そのときは、本人が決めたことならと納得してその場では深く追求しませんでした。


しかしそれからしばらくして、妹が退学した理由は学費滞納による大学除籍だと判明しました。


妹も奨学金を借りていたにも関わらずです。


それを知ったときの感情は怒りとか悲しみではなく、なんというのでしょう。

今でも言葉にできません。



私が母と交流を絶った後、いつの間にか祖母や親族が無理のない範囲で製品を購入するようになっていました。

当然その程度ではまともな収入にはならず、それでも夢を諦められない母は自宅をサロンにするための器具をいくつか購入していました。



母の晩年

製品があれば健康で長生きできると吹聴していた本人は、がんを患い亡くなりました。

享年62歳でした。


最初の入院に同行した私と妹に告げられた病名は子宮体がんのステージ4、数カ月かけて検査や治療を繰り返すも全身に転移していると判明。


私は役所や病院などの事務手続きのみ行いました。

妹は大学を中退した後も働きながら母と一緒に暮らしており、職場に無期限の休暇を申請して母に最期まで寄り添ってくれました。

終診を宣言されてから妹が自宅で過ごした1カ月は非常に過酷だったはずで、妹の心境は私には理解できません。


母が亡くなった時点で、消費者金融への借金100万円、公共料金の滞納70万円ほどありました。

祖母へも借金をしており、子どもたちの奨学金(私と妹で600万円程度)も合わせると、見える範囲でも1000万円近くの借金を抱えていました。


なお、がんが治療不可と判明してからもニュースキンの製品は自宅に届き続けていました。


母がビジネスを通じて知り合った「仲間」達は、誰も母を見舞いには来てくれませんでした。


私は母の遺骨を抱えて親族へ挨拶をする際、目の前の人たちの悲しみに全く共感できないことが辛く、泣いてしまいました。



周りへの相談

母は周囲が何を言っても聞かない性格だったため、私は母に直接ニュースキンをやめるように言ったことはなく、言っても無駄だと早々に諦めていました。


外部・周りの親族にも相談していません。


再婚相手の父は、夫婦仲が悪く私が20代半ばの頃離婚しています。


他の兄弟もみな成人するまでに母を見限っていました。

周りの親族から母に苦言を呈する様子もなかったので、相談しても無駄と判断して諦めていました。


私も、真剣に向き合うべきでした。



最後に

私は、生活に支障が出るレベルの金銭トラブルは、あくまで母の責任だったと考えています。


母は遅かれ早かれ同じような手口にはまっていたでしょう。


ただ、マルチ商法そのものがなければとも思わずにはいられません。



母はMさんに心酔していて、ことあるごとにMさんを自分の理想像として語っていました。

Mさんを含めて周囲の方々は温厚な人という印象でした。


ただ、収支がマイナスなことは周りもわかっていたはずで、それでも止めずに継続を促したことがマルチの異常さだと思います。

せめてMさんが母にひと言でものめり込み過ぎないよう言ってくれれば母も諦めてくれたはずです。

まっとうなビジネスパートナーであれば損益について指摘するでしょうし、母の異常な行動に気づかないはずがありません。

Rioさんの活動を通じてマルチのことを知るほど、自分たちではどうにもできない問題だったと痛感させられます。

時代の流れと共にマルチは手を変え品を変え獲物を狙い、ごく一部の人間の幸せの為にその他大勢は不幸になります。


私は、親の死をちゃんと悲しんで見送ってあげたかった。

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